タイ新首相アヌティン

序章:タイ新時代の幕開け ― アヌティン・チャーンウィーラクーンとは何者か

2025年9月5日、タイ王国は新たな政治的指導者を迎えた。前任のペートンタン・シナワット首相が憲法裁判所の判決により首相資格を喪失するという異例の事態を経て、下院における首相選出投票の結果、「タイ誇り党(Bhumjaithai Party)」党首のアヌティン・チャーンウィーラクーン氏が第32代首相に選出された。この選出は同月7日のワチラロンコン国王による正式な承認をもって確定し、近年のタイ政治を席巻してきたシナワット家系のタイ貢献党(Pheu Thai Party)による支配に一つの終止符を打つ、画期的な出来事となった。

アヌティン新首相は、一言で評することが極めて難しい、多面的な人物である。彼は「建設王の御曹司」として巨大な富と人脈を継承した実業家であり、タイの複雑な政治対立の狭間を巧みに立ち回り、連立政権の鍵を握る「パワーブローカー」としての評価を確立してきた。さらに、保健大臣としてアジアで初となる大麻の非犯罪化を断行したことから、「カンナビス・キング(大麻王)」という国際的な異名も持つ。その経歴は、アメリカで工学を学んだエンジニア、巨大建設会社の経営者、そして政治家という三つの顔を持つだけでなく、臓器移植のためのボランティアパイロットとして人道支援活動に長年従事するという、あまり知られていない側面も併せ持つ。

本レポートは、この複雑で多面的なアヌティン・チャーンウィーラクーンという人物を徹底的に解剖し、彼が権力の頂点に上り詰めるまでの軌跡を詳細に追跡する。さらに、彼の政治信条、主要政策の功罪、そして彼を首相の座に押し上げた独特の政治力学を分析し、アヌティン新政権がタイの国内政治、経済、そして外交にどのような影響を及ぼすのか、特に日本との関係性という観点から、包括的な展望を提供することを目的とする。

アヌティン氏の首相就任は、伝統的な意味での国民からの選挙による直接的な負託の結果ではなく、憲法上の危機から生まれた高度な政治的取引の産物であるという点が、彼の政権を理解する上で不可欠な前提となる。2023年の総選挙で最多議席を獲得したのは、現在「国民党(People's Party)」として知られる改革派の「前進党(Move Forward Party)」であったが、保守派の抵抗により政権樹立を阻まれた。その後、第2党のタイ貢献党が連立政権を樹立し、アヌティン氏のタイ誇り党もその一翼を担っていた。しかし、ペートンタン首相の失職という政治的空白が生じた際、アヌティン氏は最大のライバルである国民党の支持を取り付けるという奇策によって首相の座を射止めた 。この合意には、4ヶ月以内の下院解散と憲法改正プロセスの開始という厳しい条件が付されている。この事実は、彼が率いる政権の性格を本質的に暫定的かつ条件付きのものとして規定しており、彼のリーダーシップは常にこの政治的取引の枠組みの中で評価されなければならない。

第1部:権力への道程 ― 実業家から政治家へ

アヌティン・チャーンウィーラクーン氏の権力基盤は、ビジネスと政治という二つの世界に深く根差している。巨大建設コングロマリットの相続人としての出自が、彼の政治家としてのキャリアに強固な経済的・社会的基盤を提供した。

第1章:シノタイの御曹司

アヌティン氏は1966年9月13日、バンコクの裕福なタイ華人家庭に生まれた。その家系は中国広東省にルーツを持つ。彼の父、チャワラット・チャーンウィーラクーン氏は、タイ有数の大手建設会社「シノタイ・エンジニアリング・アンド・コンストラクション(STECON)」の創業者であり、アピシット政権下で内務大臣を務めた有力政治家でもある。この恵まれた環境は、アヌティン氏に莫大な富と広範な人脈、そして強力な社会的地位をもたらした。STECONは、バンコクのスワンナプーム国際空港をはじめとする数々の国家的な巨大インフラプロジェクトを請け負っており、チャーンウィーラクーン家とタイの国家機構との深いつながりを象徴している。

彼の教育経歴は、タイとアメリカの両文化にまたがる。バンコクの名門アサンプション・カレッジで中等教育を終えた後、アメリカ・マサチューセッツ州のウースター・アカデミーに留学。1989年にはニューヨークのホフストラ大学で産業工学の学士号を取得した。帰国後、1990年にはタイの最高学府の一つであるタマサート大学で経営学修士号(MBA)を取得している。学業を終えた彼の最初のキャリアは、ニューヨークの三菱商事で生産エンジニアとして始まったが、その後すぐに家業へと合流した。

1995年、アヌティン氏はSTECONの代表取締役に就任し、「第二世代のリーダー」として経営の舵取りを担うことになった。彼が経営トップを務めた2004年までの約10年間は、企業経営者としての手腕を磨き、ビジネスと政府の複雑な相互関係についての理解を深める重要な期間となった。この実業家としての経験が、後の彼の政治スタイルに大きな影響を与えることになる。彼の莫大な資産はこの家業から築かれたものであり、2019年の資産報告書では、彼が国会議員の中で3番目に多くの資産を保有していることが明らかにされている。

第2章:政界での飛躍と蹉跌

STECONでの経営経験を積んだアヌティン氏は、1996年にプラチュアップ・チャイヤサン外務大臣(当時)の顧問に就任し、本格的に政界へと足を踏み入れた。彼は当時、タイ政治に新風を巻き起こしていたタクシン・シナワット元首相率いる「タイ愛国党(Thai Rak Thai, TRT)」に参加。タクシン政権下で、保健副大臣(2004年、2005年~2006年)や商業副大臣(2004年)といった要職を歴任し、政治家としてのキャリアを着実に積み上げていった。

しかし、2006年に発生した軍事クーデターによるタクシン政権の崩壊は、アヌティン氏の政治キャリアに大きな転機をもたらした。クーデター後、憲法裁判所の命令によりタイ愛国党が解党されると、党の幹部であった彼は、他の110名の元幹部と共に5年間の政治活動禁止処分を受けた。この突然の蹉跌により、彼は一時的に政治の表舞台から姿を消すことを余儀なくされた。この政治的空白期間、彼は実業家としての活動に戻ると同時に、自身の趣味である飛行機の操縦に情熱を注ぎ、その技術を活かして臓器移植のための医療チームを輸送するボランティア活動にも従事した。

2012年、5年間の政治活動禁止期間が明けると、アヌティン氏は満を持して政界に復帰する。彼は、父チャワラット氏が党首を務めていた「タイ誇り党」に加わり、同年10月14日、父の後を継いで党首に選出された。これは、彼が単なる巨大政党の一員から、自らが率いる政治勢力のトップへと変貌を遂げた決定的な瞬間であった。

アヌティン氏のキャリアは、タイにおけるビジネスと政治の分かちがたい、相互補完的な関係性を明確に示している。彼の経営者としての経験は、イデオロギーよりも実利を重視する政治的プラグマティズム(現実主義)を形成した。一方で、彼の政治的コネクションは、国家プロジェクトを主要な収益源とする一族の企業帝国にとって計り知れない利益をもたらしてきたことは想像に難くない。政治権力が国家の契約へのアクセスを可能にし、そこから得られる莫大な富が政治活動の資金となり、党の組織を強化するという強力なフィードバックループが存在する。彼の出世物語は、単なる個人の成功譚ではなく、経済的権力が如何にして政治的資本に転換され、またその逆も然りという、タイの政治経済構造そのものを体現している。

また、逆説的ではあるが、彼に科された5年間の政治活動禁止処分は、結果的に戦略的な好機となった。この処分は罰として意図されたものであったが、タクシン派と反タクシン派による激しい政治的対立の最前線から彼を一時的に引き離す効果をもたらした。この「休息期間」に、彼は財政基盤をさらに強固にし、ボランティアパイロットとしての活動を通じて政治とは異なる人道的なイメージを構築した。そして2012年に政界復帰した際、彼は既存の派閥に再合流するのではなく、自らの影響下にあるタイ誇り党の党首として、独自の政治的プラットフォームを手にすることができた。この政治活動禁止期間は、彼にとって没落の時期ではなく、来るべき飛躍に向けた戦略的再配置の期間だったのである。

第2部:政策と論争 ― 保健大臣としての功罪

アヌティン氏の政治家としての評価を語る上で、2019年から2023年にかけて務めた保健大臣としての実績は避けて通れない。この期間、彼は世界的なパンデミックへの対応と、アジアを驚かせた大麻の非犯罪化という、二つの極めて重要かつ論争的な政策の矢面に立った。

表1:アヌティン・チャーンウィーラクーン氏の主要閣僚在任期間と実績

役職 (Portfolio)在任期間 (Term)主要政策・イニシアチブ (Key Policies & Initiatives)世論・政治的評価 (Public & Political Reception)
保健大臣 (Minister of Public Health)2019年7月 – 2023年9月- 新型コロナウイルス対策 (COVID-19 Pandemic Response)- 批判: ワクチン調達の遅れ、初期対応の楽観視、外国人への差別的発言が問題視された。辞任を求めるオンライン署名運動も発生した。
- 大麻の非犯罪化 (Decriminalization of Cannabis)- 賛成: 農家の新たな収入源となり、医療利用が促進されると評価された 。
- 批判: 規制の不備による社会問題(無許可販売店の急増、若年層のアクセス)が深刻化した [8, 9, 26]。本人は医療用が目的だったと主張している。
内務大臣 (Minister of Interior)2023年9月 – 2025年6月- グレービジネスや詐欺の取り締まり。- 評価: 在任期間が短く、明確な評価は定まっていない。ただし、外国人に対するビザや市民権プログラムの厳格化が指摘されている。
副首相 (Deputy Prime Minister)2019年7月 – 2025年6月- プラユット、セター、ペートンタンの各政権で副首相を務めた。- 評価: タイ政治における中心的なプレーヤーとしての地位を確立。異なるイデオロギーの政権下で生き残る政治的柔軟性を示した。

第3章:パンデミックとの闘い

保健大臣として、アヌティン氏はタイの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策の最高責任者となった。しかし、その対応は当初から厳しい批判にさらされた。パンデミック初期、彼はウイルスを「ただの風邪」と表現するなど、事態を楽観視していると受け取られる発言を繰り返した。さらに、感染拡大を巡って欧米系の外国人(ファラン)を「汚い」と表現する差別的な発言を行い、国内外から激しい非難を浴びた。

ワクチン調達戦略もまた、大きな論争の的となった。アヌティン氏はCOVAXファシリティやアストラゼネカ社からの供給を柱とする計画を発表したが、国民からはワクチン確保が遅れているとの認識が広がり、深刻な不満を引き起こした。この対応への不信感は、彼の辞任を求めるオンライン署名運動にまで発展し、20万人以上の署名が集まる事態となった。

こうした批判に直面しながらも、彼は保健大臣の職に留まり、ロックダウンの実施、ワクチン接種プログラムの開始(彼自身も国内で最初に接種を受けた一人である)、そしてワクチン接種証明書「ワクチン・パスポート」の導入などを指揮した。最終的に、パンデミック対応を問う国会での不信任決議案を乗り切り、任期を全うした。

第4章:アジアを揺るがした大麻解禁

アヌティン氏の保健大臣としての功績として最も広く知られているのが、大麻の非犯罪化である。これはタイ誇り党の選挙公約の目玉であり、彼が強力に推進した政策だった [8, 17]。2022年、彼の主導によりタイはアジアで初めて大麻を麻薬リストから除外し、家庭での栽培などを合法化する歴史的な一歩を踏み出した。この政策の目的は多岐にわたっていた。医療用大麻の利用促進、タイ誇り党の主要な支持基盤である東北地方の農家にとっての新たな換金作物としての経済的機会の創出、そして大麻関連の軽犯罪による受刑者を減らすことなどが掲げられた。

しかし、この急進的な政策は深刻な社会的副作用をもたらした。包括的な規制法案が整備されないまま非犯罪化が先行したため、タイ全土で無許可の大麻販売店が爆発的に増加し、娯楽目的での使用が野放し状態で広がった。特に、若年層が容易に大麻にアクセスできる状況は、公衆衛生上の大きな懸念となっている。アヌティン氏自身は、政策の目的はあくまで医療用に限定されていたと主張し、より詳細な規制法案が当時の連立パートナーによって阻止されたと弁明している。

この政策は彼に「カンナビス・キング」というニックネームをもたらし、彼の最も象徴的な政治的遺産となった。しかし、その無秩序な導入がもたらした混乱により、彼が率いる新政権は、皮肉にも自らが解禁した大麻産業をいかに再規制するかという困難な課題に直面している。

アヌティン氏の保健大臣としての経験は、彼の政治スタイルの核心を浮き彫りにする。それは、大衆の注目を集める大胆でポピュリズム的な政策を好む一方で、その実行段階における緻密な計画や予期せぬ負の結果への配慮が不足しがちであるという傾向だ。大麻政策は、「大麻を育てて豊かになろう」というシンプルで分かりやすいメッセージで農民という主要な有権者層に直接訴えかける、ハイリスク・ハイリターンな政治的賭けであった。しかし、法整備の不備という実行上の欠陥が、社会的な反発を招いた。同様に、パンデミック初期の彼のコミュニケーションは、自信に満ちた断定的なものであったが、時に無神経あるいは排外主義的と受け取られ、裏目に出た。このパターンは、政策の円滑な実施を担保するための地道で詳細な作業よりも、大型政策を打ち上げることによる政治的な「勝利」を優先する指導者像を示唆している。

一方で、これらの論争は逆説的に彼個人の知名度を全国区に押し上げる結果となった。2019年以前、アヌティン氏の名は政財界の一部で知られるに過ぎなかった。しかし、COVID-19という国家的危機と大麻解禁という歴史的政策により、彼は約4年間にわたって常に国政の議論の中心に立ち続けた。メディアへの露出は、たとえそれが批判的なものであっても、彼を単なる中規模政党の党首から、誰もが知る国民的人物、そして次期首相候補として有力視される存在へと昇華させた。彼は保健大臣というポストを、自らの政治的ブランドを構築するための強力なプラットフォームとして最大限に活用したのである。

第3部:政治哲学と権力掌握の力学

アヌティン氏を首相の座へと導いたのは、彼が率いるタイ誇り党の独特なイデオロギーと、タイの政治力学を熟知した巧みな戦略であった。彼はイデオロギー的な硬直性を排し、プラグマティズムを徹底することで、自らをタイ政治の「中心」に位置づけることに成功した。

第5章:タイ誇り党のイデオロギーと戦略

タイ誇り党(BJT)は、単純な政治的分類を許さないハイブリッドな性格を持つ政党である。その政策綱領は、保守主義、王室主義、ポピュリズム、そして経済的自由主義といった、一見すると相容れない要素を巧みに融合させている。党の最も重要な基盤は、王室への揺るぎない忠誠心である。この姿勢は、軍や官僚といったタイの保守的なエスタブリッシュメント層から、同党が受け入れられるための不可欠な条件となっている。党のスローガンである「พูดแล้วทำ(プート・レオ・タム:言ったら実行する)」は、観念的な議論よりも具体的な結果を重視する、プラグマティックなアプローチを象徴している。

同時に、タイ誇り党は強力なポピュリズム的側面も持つ。その政策の一部は、かつてタクシン元首相が用いた手法から着想を得ていると指摘されている。党の強固な支持基盤は、創設者であるネウィン・チットチョープ氏の影響力が絶大な東北地方のブリラム県をはじめとする地方部にあり、地域のパトロン・クライアント関係(庇護関係)を巧みに利用している。大麻解禁政策が、地方の農民を豊かにする政策として打ち出されたのはその典型例である。

しかし、タイ誇り党の真骨頂は、自らを連立政権に不可欠なパートナーとして位置づける「究極のパワーブローカー」戦略にある。アヌティン氏は、この戦略を体現する政治家である。彼は、タクシン元首相の最大の政敵であったプラユット元首相率いる軍主導の政権(2019年~)で閣僚を務めたかと思えば、その後の2023年にはタクシン派のタイ貢献党が主導する連立政権にも参加するという、驚くべき政治的柔軟性を見せた。イデオロギー的な純粋さよりも、政治の中心に居続けることを優先するこのプラグマティズムこそが、同党の最大の特徴であり、強さの源泉なのである。

第6章:2025年、権力への奇策

2025年、アヌティン氏はこのパワーブローカーとしての能力を最大限に発揮し、権力の頂点へと駆け上がった。その引き金となったのは、当時のペートンタン首相とカンボジアのフン・セン上院議長との電話会談の音声が流出し、国境問題を巡る発言が国内で激しい批判を浴びた事件であった。このスキャンダルは最終的に、憲法裁判所によるペートンタン氏の首相解職という判決につながった。アヌティン氏はこの好機を逃さなかった。彼は2025年6月、タイ誇り党を連立政権から離脱させるという大胆な決断を下す。この動きはペートンタン政権の基盤を致命的に揺るがし、政権崩壊の直接的な原因となった。

首相の座が空席となると、アヌティン氏は誰もが予想しなかった奇策に打って出る。それは、イデオロギー的には正反対の立場にある改革派の国民党との交渉であった。国民党は、旧前進党の後継政党であり、下院で最多議席を持つ第一党であったが、自らの首相候補を擁立できない状況にあった。これにより、国民党は次期首相を決定する上で「キングメーカー」としての役割を担うことになった。

アヌティン氏は、この国民党の支持を取り付けるため、彼らが提示した5項目からなる覚書に合意した [16, 18]。その核心的な条件は二つ。第一に、首相就任後4ヶ月以内に下院を解散し、総選挙を実施すること。第二に、国民投票の実施も視野に入れ、包括的な憲法改正のプロセスを開始することであった。国民党は、この合意の見返りとしてアヌティン氏に投票するが、連立政権には参加せず野党の立場を維持する。これにより、アヌティン政権は少数与党として運営されることになった。

この前代未聞の政治的取引は成功した。2025年9月5日の首相選出投票において、アヌティン氏は国民党の支持を受け、対立候補であったタイ貢献党のチャイカセム氏の152票を大きく上回る311票を獲得し、圧勝した。

アヌティン氏の政治哲学は、「政治的中心性を確保するためのイデオロギー的柔軟性」と要約できる。過去20年間、タイの政治はタクシン派と保守・軍部エスタブリッシュメントによるゼロサムゲームに終始してきた。ほとんどの政党がどちらかの陣営に明確に属する中、アヌティン氏とタイ誇り党は意図的に両陣営との関係を維持し、決定的な対立を避けてきた。彼はかつてタクシン政権で働き、後には軍主導の政権に参加し、政治的には対立しつつもタクシン氏本人との個人的な関係も維持してきたとされる。この「中立的」な立ち位置が、主要な政治ブロックが行き詰まり、弱体化した際に、彼を政治の「へそ(中心)」、すなわちキャスティングボートを握る存在にした。彼の首相就任は、この長期的な政治的ポジショニング戦略が結実した、論理的な帰結であった。

国民党との合意は、イデオロギー的な融合ではなく、あくまで一時的かつ取引的な「便宜上の同盟」である。この合意は、双方にとって大きな賭けであった。アヌティン氏にとっては、首相の座を得るという最大の報酬がある一方で、保守的な支持層から「改革派への裏切り」と見なされるリスクを伴う。国民党にとっては、彼らの悲願である憲法改正と早期総選挙を実現できる可能性がある一方で、保守的な大物実業家を首相に担いだとして支持層の離反を招くリスク、そしてアヌティン氏が約束を反故にするリスクを抱えている [26]。この「不浄な同盟」は、近年のタイ政治における最も大胆な賭けであり、絶望と好機から生まれた脆い協定である。この協定の安定性こそが、新政権の将来を占う最大の不確定要素と言えるだろう。

第4部:アヌティン新政権の展望と課題

アヌティン新政権は、その成立過程からして異例であり、多くの課題と不確実性を内包している。少数与党という不安定な基盤の上で、国民党との約束を履行しつつ、山積する内外の課題に対応していかなければならない。

第7章:少数与党政権の針路

アヌティン政権は、その設計思想からして短期的な暫定政権である。国民党との合意によって課された最大の使命は、4ヶ月以内に新たな総選挙を実施するための環境を整えることであり、その政権運営は過渡的なものとならざるを得ない。政権の存続は、野党第一党である国民党の協力に全面的に依存しており、国民党はこの力関係を利用してアヌティン氏を「短いリードでつなぎとめる」ことができる。

首相就任直後、アヌティン氏は当面の優先課題として、国民の生活費やエネルギー価格の高騰といった経済問題への対応、カンボジアとの国境紛争の管理、自然災害対策、そして犯罪の取り締まりを挙げた。また、政治的・経済的な混乱が続く中で安定性と信頼性をアピールするため、財務大臣や外務大臣といった主要閣僚に経験豊富なテクノクラート(専門家官僚)を即座に任命した。

新政権にとって最大の試金石となるのは、国民党との約束の核心である憲法改正の履行である。これは、国民投票の実施や憲法起草議会の設置など、極めて複雑で政治的に困難なプロセスを伴う。自らの連立を構成する保守派のパートナーをまとめながら、この約束を果たしていくことは、彼の政治手腕が最も問われる局面となるだろう。

外交政策に関しては、アヌティン政権はタイの伝統的な「全方位外交」、あるいは「風にそよぐ竹」と形容される柔軟なバランス外交を継承するものと見られる。アメリカ、中国、日本といった大国との関係のバランスを維持しつつ、国益を最大化するアプローチが基本となる。当面の課題は、カンボジアとの国境を巡る緊張関係を、タイの主権を守りつつ平和的な対話を通じて緩和することである。アメリカ政府はすでにアヌティン氏の首相就任に祝意を表し、新政権との協力を通じてインド太平洋地域の平和と繁栄を推進していく意向を示している。

第8章:タイの未来と日本の取るべき針路

タイの短期的な政治展望は、2026年初頭に予想される次期総選挙に向けた「管理された不安定」な状況が続くと予測される。最大の焦点は、アヌティン氏がこの短い首相在任期間を利用してタイ誇り党の支持を拡大し、次期選挙でより強力な地位を築くことができるかどうかである。経済面では、数ヶ月にわたる政治的不透明感によって損なわれた投資家の信頼を回復し、国民の生活を直撃しているインフレに対処するための短期的な経済対策が中心となるだろう。

アヌティン新政権の誕生は、日タイ関係にも重要な示唆を与える。日本はタイにとって最大の投資国であり 、アヌティン氏のビジネス重視でプラグマティックな姿勢は、日本の経済界から概ね歓迎される可能性が高い。安定したバランス外交の継続は、2022年に「包括的戦略的パートナーシップ」へと格上げされた両国の良好な関係が維持されることを意味する [37]。しかしながら、根底にある政治的不安定性と、次期総選挙後に再び政権が交代する可能性は、日本企業にとって無視できないリスク要因であり続ける。

結論として、日本の政府および企業関係者は、アヌティン新政権に対して以下のような戦略的アプローチを取ることが賢明である。日本政府は、アヌティン政権と積極的に対話し、協力関係を深化させる一方で、将来の政権交代の可能性に備え、国民党やタイ貢献党といった他の主要な政治勢力とのコミュニケーションチャネルも維持・強化する必要がある。日本企業にとっては、憲法改正プロセスの進捗や次期総選挙に向けた政治情勢を注意深く監視し、潜在的な政治リスクを評価し続けることが不可欠である。同時に、タイ経済のファンダメンタルズの強さを活用し、長期的な視点での投資戦略を継続することが求められる。

アヌティン氏の首相就任は、彼個人の勝利であると同時に、国民党が掲げる政治システム全体の「リセット」という戦略目標を達成するための手段でもある。国民党の究極の目標は、2017年に軍主導で制定された現行憲法を改正することにある。2023年の総選挙で勝利しながらも政権樹立を阻まれた経験は、現行ルールの下では彼らの統治への道が閉ざされていることを証明した。彼らがアヌティン氏を支持したのは、彼のイデオロギーに賛同したからではなく、彼を道具として利用し、自らの目的を達成するためである。4ヶ月以内の解散と憲法改正へのコミットメントという条件は、単なる提案ではなく、アヌティン氏が権力を手にするための「代償」であった。この構図において、アヌティン氏は勝者であると同時に、ある意味でこのプロセスの「人質」でもある。彼の政権の成功は、彼自身の政策によってではなく、国民党が課した課題をいかに忠実に実行するかによって測られることになるだろう。

より広範な視点で見れば、この政権の成立は、過去20年間にわたってタイ政治を規定してきたシナワット家(タクシン派)対軍・エスタブリッシュメントという二項対立の時代の終わりを告げる可能性がある。アヌティン氏率いるタイ誇り党は、どちらの陣営とも連立を組むことができる強力な第三極として台頭し、国の政治力学を根本的に変えつつある。かつては連立のジュニアパートナーに過ぎなかったアヌティン氏は、改革派との新たな、たとえ一時的であれ、政治的枢軸を形成することで、かつての同盟相手やライバルを飛び越えてしまった。これは単なる指導者の交代ではなく、タイ政治の構造的な再編である。今後のタイ政治は、より複雑で多極的な様相を呈し、その中でタイ誇り党は、次期総選挙でどの党が最多議席を獲得するかにかかわらず、中心的なキングメーカーとしての役割を果たし続ける可能性が高い。

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