
「正しさ」という檻を抜け、路地裏の智慧を纏う。バンコクの風に吹かれて辿り着いた、魂の調合レシピ
朝、駅のホームで寸分の狂いもなく白線の内側に整列し、スマホという名の「電子の鎖」に繋がれた同胞たちを眺める。ふと、この盤谷爺(ばんこくじじい)の枯れかけた脳裏をよぎるのは、あまりに切実で、あまりに下世話な疑問です。
「一体いつから我々は、これほどまでに『正しさ』という名の宗教に怯えるようになったのでしょうか?」
電車のわずか一分の遅延で、車両全体が薄氷を踏むような殺伐とした空気に包まれる。SNSを開けば、顔も知らぬ誰かが振りかざす「正論」という名の凶器が飛び交う。真面目に、誠実に、真っ当に生きようとすればするほど、喉の奥に冷たい鉄の味がこみ上げてくるような息苦しさを覚える……。きっと、あなたもその一人ではないでしょうか。
全6回にわたるこの連載も、いよいよ最終回を迎えました。
タイという「ゆるさ」の聖地と、日本という「律儀」の極北。この両極端な世界を股にかけ、泥水をすすりながら見出してきた、私なりの「地獄のような現世を軽やかに生き延びるための調合レシピ」。最後は、景気良くそのすべてを分かち合いたいと思います。
「白か黒か」で割り切れるほど、人生は高尚ではない
第1回から第5回まで、私はタイの「マイペンライ(気にしない)」精神を称賛し、日本の窮屈さに一石を投じてきました。ですが、ここで一つ、大切な懺悔をさせてください。
タイの混沌(カオス)に長く身を置きすぎると、今度は吐き気がするほど「日本の正確さ」が恋しくなる瞬間があるのです。
約束の1時間後に「今起きた」と平然と言い放つ自由奔放さ(第1回参照)に救われる日もあれば、「頼むから仕事くらいはまともにやってくれ」と天を仰ぐ日もある。人間とは、つくづく身勝手で、ままならない生き物です。
結局のところ、日本が正解でタイが間違いなわけでも、その逆でもありません。
肝要なのは、両国の「非常識」を自分の中で絶妙にブレンドし、その日の心の体調に合わせて「ちょうどいい温度」に薄めていくことだったのです。
タイマニ親爺流:ハイブリッド生存戦略
私が実践しているのは、名付けて「外面(そとづら)は日本、内面(うちづら)はタイ」という、極めて合理的で、少しばかり狡猾な生き方です。
- 仕事は「日本式」で。だが、心には「タイ式」の非常口を。
成果物のクオリティには徹底してこだわる。しかし、ミスをした自分や部下に対しては、「まあ、人間だもの。明日は明日の風が吹く」と鼻で笑ってみせる。第2回で触れた、彼らの「謝らずに微笑む」という図太い処世術を、心の防弾チョッキにするのです。 - 時間は「日本式」で守る。だが、待ち時間は「タイ式」で愉しむ。
コンビニのレジが遅々として進まなくても(第3回参照)、舌打ちする代わりに「この店員の無駄に長い付けまつげ、重くないのかね」と観察する余裕を持つ。効率という神様に魂を売らないための、ささやかな抵抗です。 - 空気は「日本式」で読む。だが、徳は「タイ式」で積む。
「空気を読む」という同調圧力(第4回参照)で削られた精神は、他人の評価を一切介さない「自分のための善行(タンブン)」(第5回参照)で補填する。誰に褒められるためでもなく、自分が少しだけ良い気分になるために動く。それだけで、世界は驚くほど優しく見え始めます。
「正しさ」という名の毒に殺されないために
この国で生きていると、「正しくないこと」は即ち「悪」であるかのような錯覚に陥ります。
しかし、タイの路地裏で安酒を酌み交わす人々が教えてくれたのは、「正しさよりも、心地よさの方がずっと命を繋いでくれる」という、泥臭くも切実な真理でした。
完璧な人間など、この世のどこを探しても存在しません。完璧な社会も、また然り。
日本の常識に縛られて窒息しそうになったら、タイの非常識を心に一滴垂らしてみる。逆に、あまりのテキトーさに足元がふらついたら、日本の律儀さを杖にする。
そうやって、二つの国の「いい加減」を、自分なりの「良い加減」へと昇華させていく。
これこそが、この複雑怪奇な現代を、軽やかに、かつ図太く生き抜くための唯一の戦略なのだと確信しています。
結びに:あなただけの「非常識」を探して
この連載を通じて、私が一番伝えたかったこと。
それは、「どこかに、あなたを救ってくれる『別の常識』が必ず転がっている」ということです。
もし今、あなたがルールの重圧や「当たり前」という重石に押しつぶされそうになっているのなら。どうか、そこから一歩、心の距離を置いてみてください。
わざわざ飛行機に乗ってスワンナプームに降り立たなくても、思考の翼さえあれば、あなたは今この瞬間から「非常識な自由人」になれるのです。
日本とタイ。二つの愛すべき、そして等しく厄介な国々から学んだこの知恵が、あなたの明日を少しだけ軽くする「お守り」になれば、これに勝る喜びはありません。
全6回、この偏屈な爺の長話に最後まで付き合ってくださり、心から感謝します。
さて、今日も一日、適当に、かつ誠実に、「マイペンライ」な心で生き抜こうじゃありませんか。
この記事があなたの気持ちに響いたら何かコメントをよろしくお願いします。
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