1万円が「札束」だった1997年から、円安と物価高騰が加速した2026年へ。タイ移住の幻想が終わりを迎える中で、私たちが手放すべきもの、そして新たに見出すべき希望について綴りました。

バンコクのスクンビット通りを歩いていると、ふと、湿り気を失った風が頬を撫でました。
かつてのタイは、もっとむせ返るような熱気と、すべてを許してくれるような泥臭い優しさに満ちていた気がします。
「日本に疲れたら、タイに行けばいい。あそこなら、何とかなるから」
そんな甘い言葉が、もはや過去の遺物になりつつあることを、私たちは心のどこかで感づき始めています。
1万円が「王様」だった、あの頃の記憶
時計の針を、少しだけ戻してみましょう。
1997年、アジア通貨危機。
あの頃、1万円札を両替所に差し出せば、ずっしりとしたバーツの札束が返ってきました。路上の屋台で食べるカオマンガイは数十円。冷えたシンハービールを浴びるように飲んでも、財布の底が見えることはありませんでした。
当時のタイには、資本主義の隙間のような「逃げ場」があったのです。
失敗しても、お金がなくても、「マイペンライ(大丈夫、気にしない)」という魔法の言葉が、すべてを包み込んでくれました。日本経済の閉塞感から逃れ、バックパック一つでバンコクに降り立った若者たちにとって、そこはまさに楽園でした。
2026年、バンコクの空を舞う「DTVビザ」の影
そして今、2026年。
バンコクの空には、当時とは比較にならないほど高く、煌びやかな高層ビルが立ち並んでいます。
かつて安宿が並んでいた路地には、一杯1,000円を超えるサードウェーブコーヒーの店が軒を連ね、デジタルノマドたちのMacBookが銀色の光を放っています。
今、私たちが直面しているのは、残酷なまでの現実です。
- 円安の加速:日本円の価値は目減りし、かつての「強者」としての立場は失われました。
- 物価高騰:バンコクの生活費は、すでに日本の地方都市を追い抜こうとしています。
- 資本主義の浸透:かつての「マイペンライ」は、効率と利益を求めるシステムの中に組み込まれ、ドライなものへと変質しました。
最近話題のDTVビザ(デスティネーション・タイランド・ビザ)。50万バーツ以上の資産証明が求められるその制度は、「タイは、貢献できる人だけを歓迎する」という、この国の新しい意思表示のようにも思えます。
私の「失敗」と、思い上がりの終わり
実を言うと、私も少し前まで「最悪、タイに行けば生きていける」と高を括っていた一人でした。
数年前、仕事に行き詰まり、逃げるようにバンコクへ渡ったことがあります。でも、そこで待っていたのは、かつての優しい楽園ではありませんでした。
円安で目減りしていく貯金残高。
日本食レストランに入れば、日本より高い会計に冷や汗をかく。
現地の友人たちは、ITバブルに沸くタイ経済の波に乗り、私よりもずっと豪華なマンションに住んでいました。
「救いに来た」つもりが、いつの間にか「置いていかれた」側に回っていたのです。
それでも、この街で生きていくということ
「タイに行けば何とかなる」という幻想は、確かに終わりました。
海外移住はもはや「安さ」を求めた逃避行ではなく、自らの足で立つための、覚悟を伴う選択になりました。
けれど、その幻想が消えた後に、ようやく見えてきたものがあります。
それは、対等な関係です。
「安い国」として消費するのではなく、一つの成長し続ける国として、タイという地に向き合うこと。
日本経済の停滞を嘆くのではなく、変化し続けるアジアのうねりの中で、自分に何ができるかを問い直すこと。
明日のための「新しいマイペンライ」
幻想が砕け散った2026年の夜。
屋台の煙の向こう側で、タイの人々が笑っています。
彼らの笑顔は、昔も今も変わりません。変わったのは、私たちの勝手な期待だけだったのかもしれません。
お金で買える「何とかなる」は終わったけれど、知恵を絞り、汗をかき、現地の人々と共に生きていく術を見つけたとき。
本当の意味での「マイペンライ」が、私たちの心に再び灯るのだと信じています。
さあ、明日はどの路地を歩きましょうか。
かつての魔法に頼らず、自分の足で、この乾いた風の中を一歩ずつ。
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