第2回:待ち合わせの10分前、私は「正しさ」という名の加害者だった

待ち合わせの10分前、私は「正しさ」という名の加害者だった

日本という社会において、私は「時計の針」という名の絶対神に仕える、敬虔な信者でした。

「5分前行動」はもはや単なるマナーではなく、生存のための教義であり、無意識の呼吸。わずか1分、されど1分の遅延すら許されず、もし遅れようものなら、この世の終わりを迎えたかのような罪悪感に苛まれる。そして、震える指先で「申し訳ございません!」と、宛先すら曖昧な懺悔のメッセージを虚空へと放ち続けるのです。

「時間は誰にとっても平等な資産であり、一度失えば二度と戻らない。ゆえに、他人の時間を奪う者は簒奪者である」

この強迫観念を骨の髄まで刻み込まれた私たちは、時間を厳守することで自らの「誠実さ」を証明しようと必死になります。しかし、その潔癖なまでの「正しさ」が、時に自分や周囲を追い詰める絞首刑の縄と化していることに、私はタイの湿潤な熱気を孕んだバンコクの地に降り立つまで、微塵も気づいていませんでした。

バンコク、午後3時。脳が溶ける熱気の中で揺らぐ「正解」

タイの友人、プイと待ち合わせをした時のことです。
場所は、冷房が効いているはずなのに、どこか生温い空気が澱んでいるBTS(高架鉄道)の駅。時刻は約束の5分前。

日本人の悲しい性(さが)として、私は当然のように現場に立ち、周囲を監視するかのように鋭い視線を巡らせます。しかし、そこにプイの影はありません。

5分が過ぎ、10分が過ぎ……。私の中の「日本人的アラーム」が、脳内でけたたましく警告音を鳴らし始めます。「事故に巻き込まれたのか?」「それとも場所を誤認しているのか?」
不安がじわじわと鋭利な苛立ちに変質し始めた頃、プイから届いたメッセージは、驚くほど軽やかで、呆れるほど無邪気なものでした。

「今、家を出たよ。ちょっと渋滞してるかも(笑)」

(笑)、だと? 今、出た、だと?

日本であれば、即座に絶縁状を叩きつけてもおかしくない不実な所業です。しかし、その30分後、彼女が南国の太陽を象徴するような満面の笑みで現れた時、私の煮えくり返っていたはずの怒りは、不思議と熱帯の空気に溶け、霧散してしまいました。

「マイペンライ」という魔法、あるいは呪縛からの解放

彼女は私の苦虫を噛み潰したような表情を見るなり、事もなげにこう言いました。

「ごめんねー。でも、マイペンライ(大丈夫、気にしないで)。こうして無事に会えたんだから、それでいいじゃない!」

「マイペンライ」。タイを訪れた者が必ず耳にし、そして時に翻弄されるこの言葉。
表面上は「問題ない」「どういたしまして」と訳されますが、その深層には、より慈悲深く、そしてある種の悟りにも似た哲学が横たわっています。

タイの人々にとって、時間は「死守すべき鉄の規律」ではありません。それは、ゆったりと流れるプールの水のようなもの。流れに逆らって必死に抗い、ストレスを蓄積させるよりも、その流れに身を委ねてしまう方がよほど心地よい――。彼らはそう直感的に理解しているのです。

  • 日本における時間: 返済義務のある「負債」。遅延は相手の資産を掠め取る「罪」である。
  • タイにおける時間: 天から与えられた「ギフト」。今この瞬間、同じ空間を共有できていることこそが「すべて」である。

この決定的なパラダイムシフトに直面した時、私の心に固着していた「5分前行動」という名の重苦しい鎧が、カシャリと音を立てて外れました。

正しさが人を傷つける時、私たちは何を失うのか

もちろん、ビジネスの場においてタイでも時間が重要なのは論を待ちません。しかし、日常の至るところに潜むこの「マイペンライ」の精神は、私たちが効率という名の祭壇に捧げてしまった「心の余裕」という名の贅沢を思い出させてくれます。

「遅れてごめん」と、かつての習慣で過剰な謝罪を口にする私に、タイの友人は不思議そうな、あるいは同情すら含んだ眼差しを向けます。
「謝らなくていいよ。あなたが今ここにいて、私たちの時間が楽しいなら、それで満点じゃない」

5分前行動を強要し、時間の正確さだけで人間の価値を計量しようとすることは、この緩やかな空気感を破壊する「無粋な罪」ですらあるのかもしれない。

そんな逆転の発想が、今の私には必要でした。正しさという武器で人を殴りつけることに、いい加減疲れ果てていたのです。

二つの国の間で、不器用に呼吸を整える

時間は守るべきものです。しかし、守れなかった時に自分や相手を精神的に抹殺しないことも、同じくらい、いやそれ以上に大切なはずです。

次回は、時間を大幅に遅れてきた彼らが、なぜか謝らずに「微笑む」という、日本人からすれば火に油を注ぐようなあの態度について掘り下げます。「なぜ彼らは謝らずに『微笑む』のか? 日本人が知らない、怒りを手放したタイ人の処世術」をお届けしましょう。

少しだけ、肩の力を抜いてみませんか。泥沼のようなバンコクの渋滞の中で、今日も「マイペンライ」と呟きながら、ゆるりと生き抜こうではありませんか。

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