タイマニ親爺
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新連載「日本の常識とタイの常識」では、私たちが「絶対的な正解」だと信じて疑わない価値観を、タイという歪んだ、しかし愛おしい鏡を通して見つめ直してみたいと思います。

第1回:【微笑みの国の生存戦略】謝罪なきラテと、我々を縛る「正しさ」という毒について

第1回:【微笑みの国の生存戦略】謝罪なきラテと、我々を縛る「正しさ」という毒について

バンコク特有の、湿り気を帯びた熱気が肌にまとわりつく午後。排気ガスの匂いさえも異国のスパイスのように感じながら、私は喧騒を逃れて一軒のカフェへ飛び込みました。

渇いた喉が求めていたのは、胃に優しい温かな「ホットラテ」。しかし、目の前に差し出されたのは、無情にも氷がカランと音を立てる「アイスコーヒー」でした。

注文の間違いを指摘しようと顔を上げた瞬間、私の言葉は喉の奥で凍りつきました。そこにいた若きスタッフは、あろうことか「ニッ」と眩いばかりの、一点の曇りもない満面の笑みを浮かべてこちらを見つめていたのです。

日本の「正しさ」という名の清潔な檻の中で生きてきた私たちなら、ここで「誠に申し訳ございません」という、定規で測ったような45度の深い謝罪を期待してしまうでしょう。しかし、ここはタイ。彼らは滅多なことでは謝りません。ただ、そこには仏像のような慈愛、あるいはすべてを煙に巻くような「微笑み」という名の回答があるだけなのです。

今回は、この「微笑みの盾」の奥底に隠された、彼らなりの生存戦略について少し深く掘り下げてみましょう。

「正しさ」という凶器をいなす、心の調和

私たち日本人は、ミスを犯すと「謝罪」という儀式を通じて責任の所在を明確にします。それは社会という精緻な歯車を回し続けるための、いわば不可欠な潤滑油かもしれません。しかし、タイの人々にとって、失態の後に最も優先されるのは「その場の空気をこれ以上濁らせないこと」。その一点に尽きるのです。

彼らにとって、怒りという負の感情を剥き出しにすることは、それまで積み上げてきた「徳(タムブン)」を一瞬で失う行為であり、何より「美しくない」ことだと考えられています。

  • 謝罪の拒絶:安易に非を認めれば、それは自己の尊厳(プライド)の崩壊を招きかねない。
  • 重苦しさの回避:謝罪によって場を凍りつかせるくらいなら、笑ってやり過ごす方が「善」である。
  • 感情の統治:笑うことは逃避ではなく、問題を「穏やかな川の流れに放流する」という高度な処世術。

あの忌々しくも美しい微笑みは、決して反省の欠如ではありません。むしろ、「これ以上、お互いの心(Jai)を熱く(Ron)して消耗するのはやめましょう」という、彼らなりの洗練されたダメージコントロールなのです。

完璧主義という名の、緩やかな窒息

翻って、私たちの日常はどうでしょうか。「正しさ」という名の神に、知らず知らずのうちに追い詰められてはいないでしょうか。

「ごめんなさい」と言わなければ、社会的な居場所を失う。
「完璧」でなければ、自分の存在価値を肯定できない。

そんな責任という名の重圧が、私たちの精神をヤスリのように削り取っていきます。一つのミスが人格そのものの否定にまで飛躍してしまう、あの息の詰まるような緊張感。タイの人々が「微笑み」でひらりとかわしているのは、実は私たちを蝕んでいる「過剰なまでの自意識」そのものなのかもしれません。

彼らの振る舞いを「無責任だ」と断じるのは容易いことです。しかし、その無責任さというベールの裏側に、「自分を許し、同時に他人も許す」ための、豊潤な心の余白が隠れているとしたら……。そう思うと、目の前のぬるいアイスコーヒーも、少しだけ味わい深いものに感じられてきませんか?

怒りを手放し、魂を解き放つための「微笑」

もしあなたが、仕事の些細なミスで自分を責め、眠れぬ夜を過ごしているのなら。
鏡の前で、あのタイの店員のように、こっそりと「ニッ」と笑ってみてください。

「起きてしまったことは、仏様でも変えられない」
「これで明日、太陽が昇らなくなるわけじゃない」

そうやって心の熱を冷ます(Jai Yen)ことができれば、日本のギスギスとしたコンクリートジャングルにも、少しだけ柔らかな風が吹き抜けるはずです。

タイマニでは、こうした現地のリアルな知恵を通じて、皆さんの心が少しでも軽くなることを願っています。

さて、次回は効率至上主義の日本人が最も試されるシチュエーション――「コンビニのレジで3分待たされるという試練」についてお話ししましょう。タイのレジ待ちで私たちが失うもの、そしてその代わりに手にする「人間臭さ」の正体とは。

まずは、完璧ではない自分をふっと笑って許すことから、始めてみませんか。

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