
秒速の狂気に憑かれた群像と、タイの「時間」
日本のコンビニのレジ。あの静まり返った空間に漂う、針を刺すような緊張感の正体は何でしょうか。
前の客が小銭を探して指先を震わせているだけで、背後から飛んでくる「チッ」という無言の銃弾。時計の針と同期するように脈動する、あの鋭利な同調圧力に、息苦しさを感じたことはありませんか?
私たちはいつから、たかが数十円のやり取りに「人生の残り時間」を賭けるような、余裕のない生き物になってしまったのでしょう。
前回、タイ人の「謝らない微笑み」という、日本人からすれば驚くほど大胆な処世術をご紹介しました。今回はそのさらに深淵。彼らが持つ「時間の概念」という、迷える現代の日本人が忘却してしまった「心の遺物」について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
バンコクのレジに流れる「永遠の3分間」
舞台はバンコク。熱気と排気ガスが混じり合う路地裏のセブンイレブンです。
私の前には、一人の女性客。彼女とレジの店員は、まるで数年ぶりに再会した親友かのように、世間話に花を咲かせています。
バーコードを打つ手は完全に止まり、背後には私を含め数人の列。
もしこれが東京の新宿や丸の内なら、怒号が飛び交うか、少なくとも店員のSNSが炎上して然るべき事態です。
ところが、この国では誰も怒鳴りません。店員は揚げたてのチキンを袋に入れ忘れ、それを取りに戻る間も、鼻歌まじりにステップを踏んでいます。結局、私の番が来るまで、たっぷりと「3分」を要しました。
最初はこめかみの血管をピクつかせていた私も、ふと周囲の様子を見て、己の浅ましさに気づかされたのです。誰も時計を見ていない。誰もイラついていない。
そして何より、この3分間、世界は一ミリも崩壊しておらず、誰も不幸になっていないという事実に。
「効率」という名の、美しき麻薬の罠
私たちは「効率的であること」を、もはや信仰に近いレベルで崇拝しています。
- 1秒の遅滞もない完璧な決済
- 1ミリの無駄も許さない、マシーンのごとき動作
- 感情を排し、マニュアルをなぞるだけの「高品質な」接客
確かにそれは便利で、清潔で、心地よいものです。しかし、その代償として私たちは、人間が本来持っているはずの「緩衝材(ゆとり)」を、社会という名のシュレッダーに放り込んできたのではないでしょうか。
バンコクのレジで展開されているのは、システム化された「作業」ではありません。不完全で、適当で、だからこそ血の通った「人間」の営みそのものなのです。
豊かさは「待ち時間」の余白に宿る
3分待たされ、ようやく私の番が来ました。
店員が最後に見せる、あの屈託のない、それでいてどこか「あんたも大変だね」とでも言いたげな微笑み。それを見た瞬間、私の内側に溜まっていたどす黒い「正論」が、ふっと霧散していくのを感じました。
「まあ、いいか。人間だもの」
そう思えた瞬間、この蒸し暑い街の空気が、少しだけ甘く感じられるから不思議です。
効率至上主義の日本で、私たちが見落としがちな生存戦略。それは、他者を許すことで、巡り巡って「自分自身の不完全さ」を許すという、高度な自己救済なのかもしれません。
次回予告:空気を読むか、徳を積むか
コンビニのレジで感じたこの違和感は、氷山の一角に過ぎません。
次回は、日本人が無意識に己を縛り付ける「空気を読む」という呪縛と、タイ人が人生の羅針盤にする「タムブン(徳を積む)」という、異次元の価値観について切り込んでみたいと思います。
「正しさ」という檻に閉じ込められて、息苦しさを感じているあなたへ。
少しだけ立ち止まって、レジの向こう側の「人間」を観察してみてください。案外、世界はあなたが思っているほど、急いじゃいないのかもしれませんよ。
この記事が、皆さんの心に少しでも新しい風を吹き込めたなら幸いです。
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