
「共同名義」という幻想に酔いしれたあなたへ。この苦い現実を、ゆっくりと噛み締めてみませんか。
バンコクの夕暮れ、室外機から吐き出される熱風が、街全体の毛細血管に老廃物を溜めていくような重苦しい湿気を運んでくる。
私は今日も、スクンビットの雑踏から少し離れた公園のベンチで、この街を「解剖」している。73歳、世間では「枯れ木」のように扱われる年齢だが、私の脳内では常にメスが研ぎ澄まされているのだ。毎日欠かさないNoteの執筆は、脳の血流を維持し、認知の歪みを防ぐための、私なりの「人工透析」のようなものである。
最近、私の視界を濁らせる、ある「症例」がSNSという名の情報の吹き溜まりで散見される。「タイ人女性と結婚して家を建てたが、離婚してすべてを失った」という嘆きだ。日本人の感覚からすれば「悲劇」だろうが、28年以上この地で「異物」として生きてきた私の目には、それは極めて正常な「生物学的拒絶反応」にしか見えないのである。
「共同名義」という甘い麻酔
まず、冷徹な事実を直視しなければならない。タイの法律において、外国人は土地を所有できない。どれほど深い愛を誓い、人生を共に歩もうとも、法的にはその家は100%タイ人配偶者の資産である。
日本人が提供した資金は、タイという巨大な生体組織に送り込まれた「輸血」のようなものだ。しかし、その血液が血管(名義)に適合していなければ、体はそれを自らの組織として認めない。これは法律の問題以前に、この国の強固な「免疫システム」そのものなのである。
タイマニ親爺の視点: > 日本人は、何事にも「保証」と「清潔な契約」を求める。過剰なまでにリスクを消毒し、無菌状態の安心を手に入れようとする「過剰医療」の精神だ。しかし、タイの土壌はもっと雑多で、生々しい。そこには「自然淘汰」のルールが冷徹に流れている。
ここで少し、皆さんの心に寄り添ってみましょうか。
慣れない異国で、献身的に尽くしてくれるタイ人女性に出会い、ようやく自分の居場所を見つけたと感じた時の高揚感。それは、孤独という名の慢性疾患を抱えた身には、何よりの特効薬のように思えたはずですね。
「自分だけは特別だ」「彼女だけは違う」……そう信じたくなるのは、人間として極めて自然な反応です。しかし、その高揚感という名のドーパミンが、あなたの生存本能を麻痺させてしまったのかもしれませんね。家を建てるという行為は、本来なら慎重な「臓器移植」であるべきなのに、皆さんはそれを単なる「プレゼント」のように考えてしまった。その甘さが、今の痛みを引き起こしているのではないでしょうか。
免疫系としての「タイ人親族」
私は2006年にタイ人女性と結婚し、彼女の親族社会という、網の目のように張り巡らされた「毛細血管」の中に身を置いている。
タイにおいて、家を築くということは、個人の城を築くことではない。配偶者の親族という「巨大な生命体」の一部に、自らの資本を組み込ませてもらう行為である。もし離婚という「壊死」が起これば、その部位は即座に切り離される。異物である外国人の手元に、組織の一部が残るはずもないのだ。
「1円も残らない」と嘆くのは、自分を「独立した個体」だと勘違いしているからである。タイの社会構造において、外国人の資金は常に「流動的なエネルギー」であり、定着することのない一時的な現象に過ぎない。
この現実は、あまりにビターですよね。
あなたが汗水垂らして働いて貯めた資金が、離婚届一枚で、彼女の親戚一同が宴会を開くためのガソリンに変わる。それを「不条理だ」と叫びたくなる気持ちは痛いほど分かります。
でも、少しだけ視点を変えてみてください。タイという国は、最初からそういう「生態系」なのです。日本のような無菌室で守られた「公平さ」なんて、ここには存在しません。あなたが彼女に渡したお金は、彼女の家族という生命体を維持するための「栄養剤」として、正しく吸収されただけのこと。そう思えば、少しは諦めもつくというものではありませんか?
執着という名の「血栓」
多くの駐在員や移住者が、ゴルフや酒に溺れて思考を停止させている間に、こうした「所有の罠」に陥っていく。
私にはゴルフも酒も必要ない。必要なのは、この「モザイク模様」のような社会を冷徹に観察する脳の血流だけだ。家という「物質」に固執し、永久不変の所有を夢見るのは、老化による認知の歪み、あるいは執着という名の「血栓」のようなものかもしれない。
皆さんも、もしタイで家を建てるなら、それは「壮大な供え物」だと割り切る覚悟を持ってくださいね。
最初から自分のものではないのだから、失っても「ああ、お布施が済んだ」と微笑んで立ち去る。それくらいの「マイペンライ」な精神がなければ、この国で心健やかに老いていくことはできません。
「1円も残らない」のではなく、最初から「あなたの場所ではなかった」のです。そう気づくことが、この国で生きていくための、最も苦く、そして最も効果的な処方箋になるはずですよ。
今日もバンコクの街は、新しい「栄養源」となる外国人を、微笑みという名の甘い麻酔で迎え入れている。私はそれを見届けながら、冷めたお茶を啜り、次の記事の構想を練ることにしよう。
![]()










