
「政権は変わる、構造は変わらない」
2025年のタイ政治を一言で言えば、「また同じ場所に戻ってきた一年」だった。政権の顔ぶれは動き、首相の椅子も入れ替わった。しかし、政治の重心はほとんど動いていない。その事実が、今年のすべてのニュースを貫いている。
まず最大のニュースは、民選政権が常に“暫定扱い”される状態が続いたことだ。選挙を経て成立した政権であっても、司法判断や憲法機関の介入によって、いつでも失速しうる。その不安定さは2025年も例外ではなく、「選挙で勝っても統治は保証されない」というタイ政治の現実が再確認された。
二つ目は、憲法裁判所と独立機関の存在感がさらに強まったことだ。政治の正統性を決める舞台が議会ではなく、法解釈の場に移っているという感覚が、国民の間でも定着した。政治は選ばれるものというより、「許可されるもの」になりつつある。
三つ目は、若者政治の熱量が“怒り”から“諦め”へと変質したことだ。かつて街頭を埋めたエネルギーは、2025年には目に見えて沈静化した。関心がなくなったのではない。「どうせ変わらない」という学習が、静かに進んだ結果である。
四つ目は、連立政権という形が恒常化し、誰も強い決断をしなくなったことだ。政権維持が最優先され、改革は常に後回しになる。大きな衝突は避けられるが、大きな前進もない。この“動かない安定”が、2025年の政治風景だった。
五つ目は、タクシン系・反タクシン系という古い対立軸が、形を変えて生き延びていることだ。人物や政党名は変わっても、政治を二分する構図は温存されている。新しい政治が始まっているようで、実は同じ脚本が繰り返されている。
六つ目は、軍が前面に出ないまま、影響力を保持し続けていることだ。クーデターは起きていない。しかし、起きなくてもコントロールできる仕組みが完成している。この「静かな軍の存在感」は、2025年にさらに自然なものになった。
七つ目は、地方とバンコクの政治的距離が埋まらないまま固定化したことだ。選挙結果は地方の声を反映するが、最終判断は常に首都側で行われる。このねじれが、政治不信をじわじわと広げている。
八つ目は、王室を巡る議論が“語られない形”で続いていることだ。公然とした論争は減ったが、沈黙が理解を意味するわけではない。触れられないテーマとして社会の深層に沈み、緊張だけが残っている。
九つ目は、経済政策が政治的制約の中で小粒化していることだ。家計債務、格差、教育改革といった課題は共有されているが、政治の足場が不安定なため、大胆な処方箋は出てこない。「分かっているが、できない」が続いた一年だった。
そして十番目として挙げるべきは、国民がこの不安定さに“慣れてしまった”ことだ。政権交代も司法介入も、驚きのニュースではなくなった。怒りも熱狂も起きず、日常の一部として受け止められている。この感覚こそが、最も重要で、最も危うい変化である。
総じて2025年のタイ政治は、崩壊も改革もなかった。
しかし、「変わらないことが普通になる」という、別の段階に入った年だった。
政権は動く。
だが、構造は動かない。
その事実が、これほどはっきり見えた一年はなかった。
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