タイ語には、主観的な視点と客観的な視点によって意味が変わる単語がいくつかあります。

- คิด (khít):「考える」という意味ですが、話し手の主観的な思考を表す場合と、客観的な推論を示す場合があります。
- เห็น (hěn):「見る・見える」という意味ですが、物理的に目で見た客観的な事実と、心の中で理解する主観的な認識の両方に使われます。
- รู้สึก (rúusʉ̀k):「感じる」という意味ですが、個人的な感情を表す場合と、一般的な感覚や状態を示す場合があります。
また、タイ語の時制や出来事の表現に関する研究では、主観的な出来事と客観的な事象の違いが議論されています。例えば、แล้ว (lɛ́ɛw) という単語は「完了」を示すことが多いですが、話し手の主観的な認識によってニュアンスが変わることがあります。
タイ語における主観視と客観視の違いが現れる単語の例をさらに詳しく説明していきます。
คิด (khít) - 「考える」
この単語は、話し手の視点によって異なるニュアンスを持ちます。
- 主観的な「考える」
- ฉันคิดว่าเขาจะมาสาย
(私は彼が遅れると思う。)
これは話し手の予測や判断を表しており、確定的な情報ではなく、個人的な考えです。
- ฉันคิดว่าเขาจะมาสาย
- 客観的な「考える」
- นักวิทยาศาสตร์คิดค้นเทคโนโลยีใหม่
(科学者は新しい技術を考案した。)
ここでは、考える行為が客観的な事実として述べられています。個人の意見ではなく、誰もが認識できる業績として記述されています。
- นักวิทยาศาสตร์คิดค้นเทคโนโลยีใหม่
เห็น (hěn) - 「見る・見える」
「見る」という意味ですが、使い方によって認識の程度が異なります。
- 主観的な「見る」
- ฉันเห็นว่าแผนนี้ดีมาก
(私はこの計画がとても良いと見ている。)
ここでは、話し手の価値判断が含まれており、単なる視覚的な認識ではなく意見を伴っています。
- ฉันเห็นว่าแผนนี้ดีมาก
- 客観的な「見る」
- ฉันเห็นเขาเดินไปทางนั้น
(私は彼があの方向へ歩いていくのを見た。)
これは事実を述べているだけであり、話し手の評価は含まれていません。
- ฉันเห็นเขาเดินไปทางนั้น
รู้สึก (rúusʉ̀k) - 「感じる」
「感じる」という言葉も、主観的な感情と客観的な状態を表すことができます。
- 主観的な「感じる」
- ฉันรู้สึกมีความสุขมาก
(私はとても幸せだと感じる。)
これは個人的な感情の表現であり、話し手の主観的な経験を示しています。
- ฉันรู้สึกมีความสุขมาก
- 客観的な「感じる」
- ฉันรู้สึกถึงอุณหภูมิที่ลดลง
(私は気温が下がったのを感じた。)
ここでは、個人的な気持ちではなく、身体的な感覚として何かを認識したことを示しています。
- ฉันรู้สึกถึงอุณหภูมิที่ลดลง
แล้ว (lɛ́ɛw) - 「完了」
動詞の後につくことで「すでに終わった」という意味を持ちますが、話し手の視点によってニュアンスが変わります。
- 主観的な「完了」
- ฉันทำงานเสร็จแล้ว
(私はもう仕事を終えた。)
ここでは話し手が仕事を終えたことを認識しているだけで、他の人が確認できるかどうかは別です。
- ฉันทำงานเสร็จแล้ว
- 客観的な「完了」
- เขาออกจากบริษัทแล้ว
(彼はすでに会社を辞めた。)
これは事実を述べており、話し手の感覚ではなく、客観的に確認できる情報です。
- เขาออกจากบริษัทแล้ว

このように、タイ語の単語は主観視と客観視によって意味が微妙に変わることがあります。特に「คิด」や「เห็น」は、話し手の感覚が入るかどうかで大きくニュアンスが変わるため、注意が必要ですね。

こうしたニュアンスの違いを意識すると、タイ語のコミュニケーションがより正確になるかもしれません。もし他にも気になる単語があれば、ぜひ一緒に深掘りしてみましょう!

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