タイ人女性と将来の夢は語れない

タイ人女性の性格は百人百様。でもほとんど誰も日本人のような明確な将来の夢なんて持っていないようだ。しかし彼女たちにも日本人とは違う「夢」があると言える行動あるある

タイ人女性と将来の夢は語れない。彼女たちの「今」を全力で生きる姿にあるあるを探る

タイの夜風が心地よいテラス席。ビールを片手に、隣に座る彼女にふと聞いてみたくなった。「ねえ、将来の夢って何かある?」。キラキラした瞳で、壮大な未来予想図を語ってくれるのかと思いきや、返ってきたのは「うーん…特にないかなあ」という、気の抜けたサイダーのような答え。追い討ちをかけるように「お金持ちになりたーい!」と、あまりにも正直すぎる願望が続く。

こんな経験、タイ人女性と付き合ったことのある日本人男性なら、一度や二度はあるのではないだろうか。我々日本人が「夢」と聞くと、つい「〇〇という職業に就きたい」「世界一周旅行がしたい」といった、具体的な目標を思い浮かべてしまう。しかし、多くのタイ人女性にとって、「将来の夢」という概念は、我々が思うそれとは少し、いや、かなり違うようだ。

もちろん、タイ人女性の性格が百人百様であることは大前提だ。中には明確なキャリアプランを持つ女性もいるだろう。しかし、大多数の女性たちと話していると、「具体的な夢なんて、まあ、あったらいいよね」くらいの、ふんわりとした感覚で捉えているように思えるのだ。

これは決して、彼女たちに向上心がないわけではない。むしろ、その逆だ。彼女たちは、我々が想像する以上に現実をしっかりと見据え、今この瞬間を全力で生きている。そのエネルギッシュな生き様の中にこそ、彼女たちの本当の「夢」が隠されているのかもしれない。

今回は、そんな「将来の夢を語らない」タイ人女性たちの、思わず「あるある!」と膝を打ちたくなるような行動原理を、長年のタイ生活で見てきた光景と共に、ユーモアたっぷりに紐解いていきたい。

あるある1:未来より「今日」。サバイサバイ精神は究極の現実主義

この根底にあるのが、タイ社会に深く根付く「サバイサバイ(心地よい、気楽な)」と「マイペンライ(気にしない、大丈夫)」の精神だ。これは決して、未来を軽んじているわけではない。むしろ、先の見えない不確実な未来にあれこれ悩むよりも、コントロール可能な「今」を大切にし、心地よく生きることを最優先する、という極めて合理的な人生哲学なのだ。

仏教の「諸行無常」の教えが生活に溶け込んでいることも無関係ではないだろう。全てのものは移り変わるのだから、遠い未来に執着しても仕方がない。それよりも、今日一日を楽しく、幸せに過ごすことの方がよっぽど大切。そんな空気が、この国には満ちている。

だから、日本人男性が「俺、将来は起業して、社会に貢献したいんだ!」と目を輝かせながら語っても、彼女たちの反応は意外とクール。「ふーん、大変そうだね。で、それ儲かるの?」なんていう、身も蓋もないが的を射たツッコミが返ってくることもしばしば。彼女たちは、壮大なビジョンよりも、目の前にある確かな幸せと安定を嗅ぎ分ける天才なのだ。

あるある2:「親孝行」こそが人生最大のミッション

タイ人女性にとって、「個人の夢の実現」よりも遥かに優先順位が高いものがある。それは「家族」、特に「親への孝行」だ。

「将来の夢は?」という問いに対する彼女たちの答えを深掘りしていくと、その終着点はほとんどの場合、「家族を楽にさせること」に行き着く。「お母さんに家を建ててあげたい」「兄弟を大学に行かせたい」「病気の親の治療費を稼ぎたい」。これらは、ぼんやりとした夢物語ではない。彼女たちを突き動かす、非常に具体的で切実な目標なのだ。

日本人がイメージする「自己実現」とは少しベクトルが違うかもしれないが、これもまた、個人の人生を賭けた壮大な「夢」と言えるだろう。自分の成功は、すなわち家族の幸せ。その結びつきが非常に強い。

だから、彼女たちの金銭感覚は驚くほどシビアで、現実的だ。給料日になれば、まず親への送金額を確保する。自分の欲しいものを買うのは、その後だ。デート中に「このレストラン、雰囲気はいいけど高いわね。あっちの屋台の方が安くて美味しいじゃない」なんて言われることもあるかもしれない。それはケチなのではなく、お金の価値と、その使い道を常に家族というフィルターを通して見ているからに他ならない。

「私の夢は、お母さんが毎日笑顔でいてくれること」。そう語る彼女の横顔は、どんなキャリアウーマンよりも力強く、美しい。我々が語る「夢」が、時として自己満足な響きを持ってしまうのに対し、彼女たちの夢は常に、愛する誰かのためにあるのだ。

あるある3:変化はチャンス!驚異のフットワークと商魂

「これ!」と一つのことに人生を捧げるような生き方を、タイ人女性はあまり好まないように見える。それは、彼女たちが飽きっぽいからではない。変化の激しい社会を生き抜くための、驚くべき柔軟性と適応能力の表れなのだ。

例えば、オフィスで働く傍ら、夜はSNSでライブコマースを始める。最初は化粧品を売っていたかと思えば、次の月には流行りのファッションに切り替え、その次は手作りのアクセサリーを売り出す。週末には友人とマーケットに出店し、平日のランチタイムには同僚に手作りのお菓子を売る。副業、複々業は当たり前。とにかく、「儲かりそう」「面白そう」という匂いを嗅ぎつけたら、即座に行動に移す。そのフットワークの軽さは、見ていて清々しいほどだ。

日本で言う「石の上にも三年」ということわざは、タイではあまり共感を得られないかもしれない。彼女たちに言わせれば、「儲からない石の上に三年も座ってたら、体が冷えちゃうじゃない!」といったところだろうか。沈みそうな船だとわかれば、躊躇なく隣の船に飛び移る。その判断の速さと決断力こそが、彼女たちの最大の武器なのだ。

これは、特定の職業や会社への帰属意識が低いことの裏返しでもある。大切なのは「何をやるか」よりも、「どうやって稼ぎ、どうやって家族を幸せにするか」。その目的を達成するためなら、手段は問わない。そのたくましさは、安定した(と我々が思っている)社会で生きる日本人には、少し眩しく映るかもしれない。

「夢」は語るものじゃない、やるものだ!

では、彼女たちは一体、何に情熱を燃やし、どこに向かっているのか。その答えは、彼女たちの具体的な「行動」の中にこそ隠されている。

行動その1:美への飽くなき投資

「綺麗になりたい」。これは、多くのタイ人女性にとって、人生を懸けた非常に具体的で重要な「夢」である。美容クリニックの看板が街に溢れ、ドラッグストアには膨大な種類の化粧品が並ぶ。彼女たちは、収入のかなりの部分を、この「美」への投資に惜しげもなく注ぎ込む。

それは単なる見栄や自己満足ではない。より良い人生、つまり、より良い仕事やより良いパートナーシップを手に入れるための、極めて戦略的な自己投資なのだ。「綺麗になれば、自信がつく。自信がつけば、良い仕事が見つかる。良い仕事が見つかれば、お金持ちになれる。お金持ちになれば、家族を幸せにできる」。彼女たちの頭の中では、美しさと成功、そして家族の幸せが、一本の線で繋がっている。

給料のほとんどが美容代に消えたとしても、「これは未来への投資だからマイペンライ!」と笑い飛ばす。その潔さは、もはや一種の信仰に近い。

行動その2:「お金」への絶対的な素直さ

日本では「夢はお金持ちになること」と言うと、どこか品がない、はしたないと思われる風潮がまだ残っているかもしれない。しかし、タイでは全く違う。「お金持ちになりたい!」は、非常にポジティブで、正直で、共感されるべき素晴らしい目標なのだ。

誰もがお金の話をオープンにする。「あの仕事はいくら儲かる」「宝くじが当たったら何を買うか」。そんな会話が日常的に交わされる。お金は、汚いものでも、隠すべきものでもない。幸せになるための大切なツールなのだ。

「だって、お金があれば好きなものが買えるし、行きたいところに行ける。お母さんにも楽をさせてあげられる。最高じゃない?」。そのあまりのストレートさに、最初は面食らうかもしれない。しかし、そこには何のてらいもない、人間としての純粋な欲求があるだけだ。建前や綺麗事で本音を隠すことなく、自分の欲望に素直でいられる。それもまた、彼女たちの強さなのだ。

結論:夢を語らない彼女たちが、本当に見ているもの

タイ人女性と「将来の夢」について語り合うのは、確かに難しいかもしれない。我々が期待するような、ロマンチックで壮大な物語は、なかなか聞くことができないだろう。

しかし、それは決して彼女たちに夢がないからではない。彼女たちの夢は、言葉ではなく、日々の行動の中に、その生き様そのものに、深く刻まれている。

朝早くから起きて家族の食事を作り、日中は懸命に働き、夜は副業に精を出す。稼いだお金で自分を磨き、家族に仕送りをする。週末は友人と笑い合い、美味しいものを食べ、来週へのエネルギーを充電する。その一つ一つの行動が、彼女たちにとっての「夢」へ繋がる、確かな一歩なのだ。

「未来がどうなるかなんて、誰にもわからないじゃない。だから、今日のことを考えるの」。そう言って笑う彼女たちの姿は、私たち日本人がいつの間にか忘れてしまったかもしれない、大切なことを思い出させてくれる。遠い未来の不確かな幸福を追い求めるあまり、「今」というかけがえのない時間をおろそかにしてはいないか。自分のための「夢」ばかりを追いかけて、すぐそばにいる大切な人の幸せを忘れてはいないか。

将来の夢を熱く語り合う夜も素敵だ。しかし、言葉にはならなくとも、今日の出来事を笑い合い、美味しいご飯を一緒に食べる幸せを分かち合う。そんな「今」の積み重ねこそが、言葉よりもずっと雄弁に、二人の最高の未来を形作っていくのかもしれない。

タイマニ親爺
タイマニ親爺

夢を語らない彼女たちは、全身で「今」を生きている。そのたくましく、しなやかで、愛情深い生き方こそが、彼女たちが見ている最高の「夢」の姿なのだろう。

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